スポンサーサイト

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    • 2016.04.04 Monday
    • -
    • -
    • -
    • by スポンサードリンク

     小原 日登美

    0

       小原 日登美(おばら・ひとみ、自衛隊=レスリング女子48キロ級)非五輪階級の51キロ級で6度の世界選手権優勝。55キロ級で挑んだ北京五輪出場を逃し、2008年に引退した。09年に48キロ級で復帰し、10年から世界選手権2連覇。一昨年10月に結婚。中京女大(現至学館大)出。156センチ。31歳。青森県出身。
       

       
       決勝を戦う小原の顔に宿ったものは“勝利の女神”などという生半可な力ではなかった。最終第3ピリオドの開始18秒。相手の右足めがけ、頭から飛び込む捨て身の一撃が虎の子の先取点を生んだ。

       
        慌てて前に出る相手を今度は組み手で押さえつけ、マットにはわせてもう1点。そこにいたのは「」だ。


       
       小原は2008年秋に一度引退している。当初は女子代表コーチを務め、48キロ級の妹、真喜子の指導に当たっていた。だが、男子フリースタイルの佐藤満監督は早くから小原に翻意を促している。「真喜子には悪いけど、金を取れるとしたらお前の方だよ」


        佐藤監督の目には、タックルの絶妙な呼吸を心得ている点が、他の女子にはない強みと映った。男子に近い組み手の技術も備えている点も捨てがたかった。



        決勝の相手、スタドニクはスピードに任せて何度も小原の懐をえぐってきたが、最後の一線を越えさせなかったのは秀逸な組み手のさばきだ。


        小原は伴侶にも恵まれた。一昨年10月に結婚した康司さんは、元レスラーの自衛官。妻のスパーリングをつぶさに録画し、その日のうちに2人で課題を検証した。聞き役に徹し、心配性の小原から悩みや不安を取り除くのも夫の仕事。最良のコーチであり、最良の理解者がいつでも小原の横にいてくれた。



        「一人ではロンドンにすらたどりつけなかった。みんなと一緒に取った金」。タイムアップのブザーとともに一世一代の舞台は終わった。“鬼”は顔を覆って涙を流し、妻の顔に戻っていた。


       
        
      にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ                               
       にほ んブログ村 
       人気ブログランキングへ ランキング 応援お願いします!
       
      もんきーそふと


       卓球女子3姉妹

      0




         日ごろ火花を散らすライバル同士の「3姉妹」が、卓球史上初めて五輪メダルを日本へ持ち帰る。卓球女子団体の平野早矢香(さやか)(27)、福原愛(23)、石川佳純(かすみ)(19)の3選手が7日、決勝で卓球王国・中国に敗れたものの、銀メダルを手にした。卓球史に輝かしい一歩を刻んだ快挙に、会場では日の丸が揺れ続けた。


         

         多数の中国ファンが占める会場に「加油(ジャー・ヨウ)(頑張れ)」の声援がこだまする。3人は押されながらも、巧みな攻撃で強敵を苦しめた。スマッシュが決まる度、3人の名とともに「頑張れっ」「負けるなっ」の声も飛んだ。

         

         
         平野、石川両選手が組んだ最後のタブルスでゲームセットとなった瞬間、3人は悔しげな表情。だが、会場からは大きな拍手が送られた。

         

         
         四つずつ年の離れた3姉妹はライバルであり仲間でもある。それぞれの存在がお互いを高め合ってきた。



         
         福原選手にとって、後を追うように実力を付けてきた石川選手の存在が刺激になった。

         

         
         「あの子は絶対に強くなる」。日本代表コーチだった渡辺理貴さん(41)は、中学生だった石川選手が「愛ちゃん2世」として注目され始めたころから、福原選手にそう聞かされていた。渡辺さんは日本代表の合宿で2人の公開試合を組んだことがある。すると福原選手は「面白がってるんでしょ」と猛抗議してきたという。試合は福原選手が大きな掛け声を連発する気合を見せて勝った。「まだ実力が離れていたころから、石川選手のことを意識していた」と振り返る。



         
         石川選手も「みんながあこがれる愛ちゃん少しでも追いつきたい」とずっと目標にしてきた。北京五輪の翌年にあった世界選手権では福原選手が2回戦で敗退。入れ替わるように躍進したのが、ベスト8に入った石川選手だった。

         

         
         福原選手は試合後、「本当に恥ずかしい」と涙を見せた。目の色が変わった。対戦相手の分析を担当していた渡辺さんに、自分から細かく注文を出すようになった。ずっと指導してくれていた中国人コーチのもとを一時離れたことも転機になった。「誰かに頼るのではなく、自分で考えるようになった」(福原選手)。苦手だったパワーをつけるトレーニングにも取り組んだ。中国人選手にも打ち負けなくなった。

         

         
         今年1月。石川選手を破って日本選手権を初めて制した。普段は「佳純ちゃん」「愛ちゃん」と呼び合い、ブログに写真を載せる仲でもある2人。福原選手は、渡辺さんに言った。「佳純ちゃんが出てきたから、私は変われた


         

         
         福原、石川両選手が1度ずつしか優勝していない日本選手権を、5度制しているのが平野選手だ。福原選手が「早矢香ちゃんのためにあるみたいな大会」と脱帽するほど、若い2人の高い壁になってきた。だがロンドン五輪は、その2人との代表争いに敗れてシングルスには出られなかった。石川選手とは、練習場もともにしてきた。悔しさを封印して「足を引っ張らないように」と団体戦に懸けてきた。メダル獲得を決めた準決勝後、恩師の大嶋雅盛さん(56)に早くも宣言していた。「(次の五輪がある)ブラジルも目指します」。3人の切磋琢磨(せっさたくま)は続く。



        にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ                               
         にほ んブログ村 
         人気ブログランキングへ ランキング 応援お願いします!
         
        もんきーそふと


         なでしこジャパン

        0




           サッカー日本女子代表は6日、英国のウェンブリー・スタジアムでロンドン五輪の準決勝となるフランス女子代表戦に臨み、2−1で勝利した。前半に大儀見優季がゴールを挙げると、後半にも阪口夢穂が追加点を決め、1点を返されたものの逃げ切った。日本は初の決勝進出を決め、メダルを確定させた。日本は9日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われる米国女子代表との決勝に臨ます。

           なでしこジャパンの激闘に多くのファン・国民が、勇気と希望をいただいた!寝不足もなんのその、決勝戦も最高のエールを贈りたい!

           以下に、激闘を終えた4選手のコメントを紹介します。


           ☆ 澤穂希(INAC神戸レオネッサ) 「一番輝く色の金メダルを目指します」



           自分がずっと目標にしてきた五輪のメダルが確定して、夢がかないました。本当にうれしいです。人間は欲が出ちゃうのでメダルに満足することなく、なかなかこういうチャンスはないので、ここまで来たら一番輝く色の金メダルを目指します。

           フランスとは五輪前に対戦して0−2で完敗しましたけど、あの試合があったからこそ今日の試合で勝てたと思います。ブラジル戦が終わった後にみんなすぐに気持ちを切り替えて、フランス戦に向けて準備をしてきました。


           ☆ 福元美穂(岡山湯郷Belle) 「絶対に守ってやろうと思っていた」



           次に進むために最後は絶対に守ってやろうと思っていました。PKは絶対に入れさせないという気持ちだったんですけど、思い切り逆サイドに飛んでしまったので(シュートが外れて)ラッキーでした。ディフェンス陣ともみんなとも、相手がこういうときはこうしようとか話していたので、失点があったのは残念ですけど、よくみんなで戦えたかなと思います。


           ☆ 大儀見優季(1.FFCトリビューネ・ポツダム/ドイツ) 「ワンチャンスを狙おうとしていた」



           楽しかったです。相手が引いてくるっていうのはわかってて、ボールは持てるだろうなと思っていた。その分、カウンターを食らうリスクもあったからああいう持ってる時間帯に点が取れたのは大きかった。(フランスが引いてくると思ってた?)フランスの今大会の試合を見てても、結構引いている試合が多かったから。だから、ああいう形だと流れのなかで点を取るのは難しいと思っていたので、どこかでセットプレーが取れればと思っていた。

          (前半ボールを持ちながらもシュートは少なかったが、嫌な雰囲気はなかったか?)そんな雰囲気はなかったし、自分も持たされたら、そんなにシュートまではいけないだろうと思っていた。やりながらもそれは感じていた。だから、下手にボールを受けようとしないで、ほんとにワンチャンスを狙おうとしていた。

          (FKからの先制点。狙いはどうだった?)GKが結構、前に出てくるところがあったので、あや(宮間)がわざとブレ球を蹴ってくれた。なので、こぼれたところをねらっていた。2点目の場面はGKが(1度失敗していたので)びびって出てこなかった。それで夢穂(阪口)の点が生まれたと思う。


           ☆ 阪口夢穂(日テレ・ベレーザ) 「終盤は苦しかった」



           (決勝進出を決められて)素直にうれしいです。終盤はめっちゃ苦しかった。フランスの底力を見た感じです。
          (前半は)なかなか前からこなかったので、あれっと思ったんですけど、あれも作戦かと思ったらぞっとしました。

           前半は(フランスが)前からこなかった分、ボールを動かせたんですけど、後半は前から来たんで、なかなかボールも動かせず押し込まれる形になってしまいましたが、そのなかでも勝てたのはよかったです。

          (2点目はFKから難しい態勢だったが?)マークについていた相手の6番が全然ボールを見てなくて、自分のことばかり見ていたので、これは行けるかなと思って裏に走ったら宮間(あや)選手が見ていてくれたようで、そこにドンピシャのボールが来ました。でも、得点を取ったことよりも、PKを与えてしまったので、複雑な気持ちです。

          (終盤フランスはかなり前がかりできた?)そうですね。前半からああいうサッカーをされていたら、ちょっと(勝てていたか)わからなかった気がします。  


          にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ                               
           にほ んブログ村 
           人気ブログランキングへ ランキング 応援お願いします!
           
          もんきーそふと


           藤井瑞希・垣岩令佳

          0


             悲願の初メダルは、金に劣らぬ輝きを放っていた。ロンドン五輪バドミントン女子ダブルスで4日、藤井瑞希(24)、垣岩令佳(23)両選手のペア=ルネサス=が銀メダルを獲得。負けん気が強く、努力家の2人が日本バドミントン界初の栄誉をつかみ取った。

             

             藤井選手の負けず嫌い幼稚園の頃からだ。熊本県芦北町の自宅近くにあるジュニアクラブに5歳から通った。母やよいさん(52)は「5歳なのに、小学生に負けて悔しがっていた」と話す。
             

             練習に向かう姿勢も厳しかった。「試合は朝や夜の涼しいときじゃなくて昼にやる」。小学と中学の夏休みは、あえて暑い時間に走り込んだ。強い相手との対戦を求め、あちこちに出稽古。やよいさんが2時間かけて連れて行くこともあった。

             

             大津市出身の垣岩選手は6歳で始めた。当時からセンスは光っていた、努力も半端ではなかった。「教えられた足の運びを、買い物先のスーパーで繰り返していた」と母えり子さん(54)。その姿がさまになっていたことを鮮明に覚えている。
             

             「時間がもったいない」とテレビを見ながら、腹筋をするのが日課。きょうだい3人で毎日のように縄跳びをし、友達との遊びも鬼ごっこなど走ることばかりだった。
             

             「強い人がいっぱいいるところへ」と進学した強豪の青森山田高校で、2人はペアになった。「初めて組んだとき、とにかくしっくりきた」と振り返る藤井選手。1年先に卒業して実業団入り。シングルスで戦ったが、世界で通用しないと痛感した。五輪を目指すにはダブルス、相手は垣岩選手しか考えられない。「一緒にロンドンを目指そう」と口説き、再結成した。

             

             家族よりも長い時間積み重ねてきた。「友人を間違えて『令佳』と呼んでしまう」と藤井選手が笑えば、垣岩選手も「お姉ちゃんみたい」と慕う。試合に負けると3時間、4時間話し合った。

             

             小さいときからの夢の舞台に立てたのは、家族や周囲の支えのおかげ−。試合前にいつも通り目をつむり、感謝を胸に刻んだ2人が決勝を戦い抜き、最高の恩返し果たした。



            にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ                               
             にほ んブログ村 
             人気ブログランキングへ ランキング 応援お願いします!
             
            もんきーそふと


             内村航平

            0
               
               1989年昭和64年)1月3日福岡県北九州市に生まれる。誕生時には元号がまだ"昭和"だったが、誕生4日後に"平成"に改元したことにあやかり、「平成の時代を真直ぐ渡れるように」という願いを込めて、"航平"と命名された。



               父・和久は日本体育大学体操競技部出身で柳川高等学校時代に高校総体の種目別で優勝しており、母・周子も元体操選手、妹の春日(はるひ)も体操選手(日体大)という体操一家である。1992年(平成4年)に両親が『スポーツクラブ内村』を開設し、長崎県諫早市に移住したのを機に、3歳で体操を始めた。


               両親の反対を押し切り、諫早市立諫早中学校卒業と同時に、塚原直也に憧れて上京し、朝日生命体操クラブに入門した。東洋高等学校を経て、日本体育大学体育学部体育学科に入学。大学では体操競技部に所属し、4年時には主将を務めた。高校生の時あん馬の種目で2点をたたき出したことがある。


               2007年平成19年)ユニバーシアード団体優勝とともに種目別ゆかで優勝。2008(平成20年)、初めてのオリンピック代表選考である二次予選では、二日間ともに冨田洋之を抑えてトップに立ち予選通過。最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得した。



               オリンピック本大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも他種目で23人を抜き、最終的には2位となって銀メダルを獲得した。尚、個人総合では北京五輪代表監督である具志堅幸司ロサンゼルスオリンピックにおいて金メダルを獲得して以来24年ぶりのメダル獲得であると同時に、日本体操界では10代での個人総合のメダル獲得は史上初であった。


               2008年(平成20年)、全日本選手権で個人総合優勝を果たす。それまで男子体操を牽引していた冨田洋之が同年末をもって引退し、名実ともに日本の新たなエースとなった。2009年世界体操競技選手権(ロンドン)では、ついに個人総合優勝を達成。20歳での獲得は日本勢史上最年少であった。2010年(平成22年)、世界選手権ロッテルダム)でも圧勝し、日本人初となる個人総合2連覇を達成した。また同年12月の全日本選手権種目別跳馬で、新技「伸身ユルチェンコ3回ひねり」を成功させている。



               日体大卒業後の2011年(平成23年)4月、山室光史とともにコナミスポーツ&ライフに入社。社会人となってから初めての国際大会でもあった2011年世界体操競技選手権東京)では個人総合で国際大会自己ベストの93.631点をマークし、2位のP・ボイに3点以上の大差をつける圧勝で、体操史上初となる個人総合3連覇を達成した。種目別には跳馬以外の5種目に出場。ゆかではG難度のリ・ジョンソンを成功させて金メダルを獲得。内村のひねりが速く、審判がこれを見落としていたため、日本チームの指摘により得点が訂正された。ゆかの種目別金メダルは1974年(ヴァルナ)笠松茂以来34年ぶりの快挙。鉄棒でも銅メダルを獲得した。この個人総合3連覇により日本体操協会は内村をロンドンオリンピック代表選手として早々と内定させた。



               各国のメディアから個人総合「金メダル確実」と評され臨んだ2012年ロンドンオリンピックであったが、予選であん馬と鉄棒で落下するミスを犯す。男子団体では5種目で安定した演技を見せるも、最終種目のあん馬で着地の際態勢を崩し、一時は4位になったが、その後日本選手団の正式な抗議により判定が覆り2大会連続の銀メダルを獲得した。しかし、インタビューでは「4位でも2位でも、僕はあまり変わらなかったと思う」と話すなど笑顔が見られなかった。過去例を見ない不調に個人総合金メダルを心配する声も上がったが、個人総合では団体でミスをした鞍馬を15.066点で乗り切ると3種目目の跳馬で16.266点の高得点で首位に立ち、最終的に全6種目を全て15点台でまとめるなど安定した演技を取戻した。最終得点は2位に1.659点の大差をつける92.690点となり、前述の具志堅幸司以来28年ぶりの金メダル、2大会連続のメダル獲得となった。



               ロンドンオリンピックは内村選手にとって試練の舞台となった。団体総合では4位という結果を抗議により2位に覆すという異例の審判。自分自身のミスによる内容は納得のいかないものとなった。その中で迎えた個人総合、彼を取り巻くプレッシャーは並々ならぬものがあったはずだ。そして彼は、その期待に押しつぶされることなく、見事に「金メダル」という結果を残したのだ。彼の強靭な精神に惜しみない拍手を送りたい。

               

              にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ                               
               にほ んブログ村 
               人気ブログランキングへ ランキング 応援お願いします!
               
              もんきーそふと


              | 1/1PAGES |

              PR

              calendar

              S M T W T F S
              1234567
              891011121314
              15161718192021
              22232425262728
              293031    
              << October 2017 >>

              ローカルテキスト

               

              見つけよう!Amazon

              ドリームポケット

              ゴールデンアイ

              レインボーマップ

              recent comment

              recent trackback

              profile

              search this site.

              mobile

              qrcode

              powered

              無料ブログ作成サービス JUGEM