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    • 2016.04.04 Monday
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    ジェシカ・アルバ

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       ジェシカ・マリー・アルバ(Jessica Marie Alba, 1981年4月28日 - )は、アメリカ合衆国女優



        
      カリフォルニア州ポモナ出身。父親のマーク・アルバはメキシコ系アメリカ人、母親のキャサリン・アルバ(旧姓ジェンセン)はデンマーク及びフランスカナダ人の血を引く。1歳下の弟ジョシュアも俳優。父親が軍人だったため、ミシシッピ州テキサス州などで過ごし、ジェシカが9歳の時にロサンゼルスに落ち着く。


       幼少期のジェシカは強迫性障害肺炎虫垂炎扁桃炎を患っていた。そのため入退院の繰り返しだったことから友達はあまりいなかったという。16歳で高校を卒業し、ウィリアム・H・メイシー&フェリシティ・ハフマン夫妻が教える演劇学校(アトランティック・シアター・カンパニー)に6週間在籍。




       5歳の頃から女優を志し、11歳の時に演技の勉強を始め、12歳の時にコンテストで約1500人の中から優勝する。その9ヶ月後には
      エージェントが付くようになり、1994年に映画『僕たちのサマーキャンプ/親の居ぬ間に…』でデビュー。同作品では当初、脇役での出演予定だったが、主要キャストに配役されていた女優が降板したことから、ジェシカが主要キャストのひとりを演じた。


       任天堂J.C.ペニーのCMに出演していた時期もあるが、1994年にニコロデオンチャンネルのテレビシリーズ『The Secret World of Alex Mack』でテレビに初出演する。翌年放送のテレビシリーズ『フリッパー』でオーストラリアに滞在した際にスキューバダイビングの資格を取得。


       テレビドラマのゲスト出演やインディペンデント映画の出演を経て、1999年公開のドリュー・バリモア主演のラブコメ『25年目のキス』とホラー・コメディ『アイドル・ハンズ』で注目を集める。


       ジェームズ・キャメロンが製作総指揮を務めた2000年放送のテレビシリーズ『ダークエンジェルで約1200人の中から主人公マックス役に選ばれ、ブレイクする。2002年まで出演し、ゴールデングローブ賞主演女優賞 (テレビシリーズ/ドラマ部門)にノミネートされた。『ダークエンジェル』打ち切り以降は映画を中心にしており、2003年公開の『ダンス・レボリューション』で映画初主演を果たす。



       2005年公開のスタン・リー原作のSFアクション映画『ファンタスティック・フォー [超能力ユニット』やフランク・ミラー原作の『シン・シティ』のヒットにより、映画俳優としての実績を築き始める。2006年にはMTVムービー・アワードの、2008年にはアカデミー科学技術賞の司会を務めた。



       セクシー女優としても知られ、2007年の
      FHM誌では「世界一セクシーな女性」第1位に選ばれている。また、プレイボーイ誌やマキシム誌など、アメリカ合衆国内で刊行されている多くの男性誌で「最もセクシーな女性」の上位にランクされており、セックスシンボルとしても扱われている。


       大衆人気も高くティーン・チョイス・アワードMTVムービー・アワードといった映画賞の常連である。しかし、演技力を非難されることもあり、ゴールデンラズベリー賞の常連にもなっている。


       2006年3月発売のプレイボーイ誌では、セミヌードの写真(映画『イントゥ・ザ・ブルー』の写真)が無断で掲載され、雑誌の回収と損害賠償を求めた。その後、同誌の創始者ヒュー・ヘフナーから謝罪の手紙を受け取り和解し、プレイボーイ誌はジェシカが支援している2種類のチャリティ団体に寄付をした。



       ジェシカ自身は「セクシー女優」と呼ばれることやラテン系という見られ方や映画での配役に不満を抱いており、「今後、ナタリー・ポートマンが演じるような役柄には出会えないのではないか」、「私なんかより、キューバ人の父親を持つキャメロン・ディアスの方がラテンよ」と発言している。


       敬虔な
      カトリック教徒であり、映画の中でのヌード及びセックスシーンを拒否している。(2010年公開の『マチェーテ』ではバストトップを隠して全裸のシャワーシーンを見せている)


       2001年にジェシカの20歳の誕生日に『ダークエンジェル』で共演したマイケル・ウェザリーと婚約したが、2003年に破局。破局理由については12歳という年の差が挙げられている。後のインタビューで「なぜ婚約したかはわかりません。(婚約した時)私は処女で、彼とは12歳差がありました。私は彼がもっと分別あると思っていました。私の両親はそれをよろこんでいませんでした。両親は本当に信心深いのです。彼らは、彼らが信ずるべきことのみがバイブルには書かれていると信じている人たちで、私とは根本的に違います。」と発言。その後、プロゴルファーのセルヒオ・ガルシアやメジャーリーガーのデレク・ジーター、俳優のマーク・ウォールバーグと交際。



       2004年から『ファンタスティック・フォー〔超能力ユニット〕』で知り合った撮影技師のキャッシュ・ウォーレン(父親は俳優のマイケル・ウォーレン)と交際、2008年5月19日にロサンゼルス市内で結婚。同年6月7日にロサンゼルス市内で長女(オナー・マリー・ウォレン)を出産、OK!マガジンが150万ドル(約1億6千万円)で写真を掲載した。2011年に次女(ヘイヴン・ガーナー・ウォーレン)を出産。


       2008年アメリカ合衆国大統領選挙ではバラク・オバマ上院議員を支持しており、2008年2月にウィル・アイ・アムのオバマ上院議員のキャンペーンソング「We Are the Ones」のミュージックビデオに参加している。また、若者に大統領選挙一般投票を呼びかける「Declare Yourself」のキャンペーンポスターのモデルに起用された。


       チャリティー活動に熱心でありアリシア・キーズが主催するエイズ患者支援団体Keep A Child Aliveがん患者支援団体Step Up Women's Network」など、複数の団体の活動に関わっている。




       2009年6月、動物愛護活動の一環として、オクラホマ州オクラホマシティ市内において保護のポスターをユナイテッド・ウェイ社などのビルボードに掲載し、公共物破損疑いの騒ぎとなった。後日、ジェシカ側はオクラホマ市民とユナイテッド・ウェイ社と和解し、起訴されることはなくなった。


       いわゆるセクシー女優とは、一線を画している。信念の強さ仇になることもあるが、自立した女性の生き方としては、同性のファンにも支持されるのではないか。今後のさらなる活躍を期待する。


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       キャメロン・ディアス

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         キャメロン・ミシェル・ディアス(Cameron Michelle Diaz, 1972年8月30日 - )は、アメリカ合衆国女優。公称身長175cm。



         
        カリフォルニア州サンディエゴにて生まれる。父エミリオ・ディアス(1950年 - 2008年)はスペインキューバ移民2世の石油工場の現場監督、母ビリー・ディアス(旧姓:アーリー)はアメリカ・インディアンチェロキー族イングランド人、ドイツ人の血を引く輸出エージェント。1970年生まれの姉チミーヌがいる。


         地元の名門高校、ロングビーチポリテクニク高等学校に在籍していた。


         16歳の時に
        エリート・モデル・マネジメントと契約し、17歳の時にファッションモデルとしてデビュー。1992年に日本に約2ヶ月間滞在したこともある。その後、カルバン・クラインリーバイスのモデルをしていた。1990年7月号のSeventeenで表紙を飾り、特集が組まれた。




         21歳の時に『マスク』(1994年公開)のオーディションに合格し映画デビューを果たす。その後は地味な活躍ぶりだったが、1998年公開の『メリーに首ったけ』が1億ドルを超える大ヒットとなり本作でニューヨーク映画批評家協会賞女優賞を受賞、ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)にもノミネートされ一躍スター女優となる。


         
         2000年からは『
        チャーリーズ・エンジェル』シリーズに出演し、2001年からはアニメ映画シュレック』シリーズのフィオナ姫の声優を務めている。


         2005年よりMTVで『TRIPPIN' キャメロン・ディアス世界(珍)冒険紀行』に出演。この番組はドキュメンタリー番組で、彼女が友人と共に世界の辺境の地や世界遺産を巡っている。彼女は同番組のプロデューサーも務めている。


         過去に
        マット・ディロンジャレッド・レトとの交際歴がある。2006年まで歌手のジャスティン・ティンバーレイクと交際していたが2007年1月、「ロマンチックな関係を終えた」と破局を発表した。一説によれば、ジャスティンが自身の曲のPV内で女優のスカーレット・ヨハンソと恋人を演じ、それを見たキャメロンが嫉妬し、破局。その後イギリス人モデルのポール・スカルフォーと交際し、ロンドンで物件を探していたことから一時は結婚かといわれていたが、結局破局に至った。2011年6月現在は、メジャーリーガーでニューヨーク・ヤンキースの主砲であるアレックス・ロドリゲスと交際中と報道されている。

         
         2006年9月に亡くなった
        スティーブ・アーウィンのファンであった。


         ベジタリアンである。




         経済誌
        フォーブスによる、2007年6月1日〜2008年6月1日の間に稼いだ額を試算した、「最も稼いだハリウッド女優トップ10」では5000万ドル(約54.7億円)で1位となった。


         2004年のThe Hollywood Reporter誌による高額出演料女優リストでは2000万ドル(約20億円)で2位となった。

         
         
        2007年1月、米経済誌フォーブス誌がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、総資産90億円で15位にランクインした。


         2007年1月には日本で放映された自身が出演したソフトバンクのCMのギャラが3億6000万円だったことがわかった。


         2007年12月、ハリウッド・リポーター紙が「高額ギャラ番付」を発表し、『シュレック3』のギャラが3000万ドルで3位にランクインした。


         2010年7月、BANG Media Internationalによると、ビバリーヒルズに1,000万ドル(日本円で約9億円)の大邸宅を購入したという。この大邸宅は広さが3エーカー(12,140平方メートル)あり、イギリスのコテージ風で6つのベッドルームと2つの大きなリビングを備え、屋外にはスパ、ゲストハウス、テニスコート、プールを完備しているという。近所にはペネロペ・クルスとハビエル・バルデム邸、ニコール・キッドマンとキース・アーバン夫妻邸があるという。


         
        2010年8月、経済誌フォーブス誌が「ハリウッドで最も稼ぎのいい女優」のランキングを発表し、3,200万ドル(日本円で約28億8,000万円)を稼いで2位にランクインした。このランキングは映画などの出演料だけでなく、香水や洋服のプロデュースやCM契約などの金額を合わせて計算されているという。


         2011年1月、経済誌フォーブス誌が「過去5年間で最も興行収入の高かったコメディエンヌ」のランキングを発表し、キャメロンは7億6,800万ドル(日本円で約630億円)を稼ぎ出して4位にランクインした。


         2011年7月、経済誌フォーブス誌電子版が「ハリウッド女優の所得番付」を発表し、1,800万ドル(日本円で約14億4,000万円)を稼いで8位にランクインした。


         
         日本での人気も高いが、中々来日しなかった事もあり、かつては「キャメロン・ディアスは日本が嫌いなのでは?」と言われていた。一方、日本嫌いではなく、10代の時に日本で仕事をしていたときホームシックになり、孤独を味わったこと、そして日本における外国人モデルの待遇の悪さなどから、辛い経験をしたことから来日したがらないのではないかとも言われていた。2008年に来日した際は「私がどうして日本好きか、自分の目で確認してほしかった」と語っている。好きな日本食は鍋焼きうどんである。


         元モデルだけあり、「スクリーン」誌(近代映画社)のベストドレッサーランキング、オリコンが行った「オシャレな海外スター」ランキングで1位に輝いた。


         
         2010年に放映されたイギリス
        BBCの自動車番組「トップ・ギア第15シーズンで、同番組の有名企画「Star in a Reasonably Priced Car」にトム・クルーズと共に出演。番組が用意したキア・Cee'dを駆り、1分45秒2のタイムを出す。これは放映時ではトム・クルーズに次ぐ第2位である。また、司会者であるジェレミー・クラークソン同乗によるドーナツターンを披露した。


         キャメロンの魅力は、なんと言っても底抜けに明るい笑顔である。そして、たぐい稀な身体能力は男子も寄せ付けないものがある。今後の活躍に期待したい。


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        もんきーそふと


        古今東西 「憧れの俳優」 〜 新垣 結衣 〜

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           新垣 結衣(あらがき ゆい、1988年6月11日 - )は、日本女優歌手ファッションモデル。本名同じ。愛称は、ガッキー

           

           沖縄県
          出身。レプロエンタテインメント所属。


           
          2001年、女子小中学生向けファッション誌『ニコラ』の読者であった姉に「私はもうできないから」と推されてモデルニコモ)オーディションに応募、グランプリを獲得。2005年にニコモを卒業するまでに表紙に15回登場し、その回数は当時最多であった。ニコラでは「伝説の卒モ(卒業した専属モデルの意)」と称している。


           翌年春にニコモ卒業を控えた2004年中頃からは、バラエティ番組や水着グラビア、女優業などへと進出している。




           グラビアアイドルとしては、主に少年誌の雑誌グラビアで活動を開始。2006年3月3日に初の写真集『ちゅら☆ちゅら』を、5月17日にイメージビデオ『XIANGYU シャンユイ〜相偶』を発表した。『ちゅら☆ちゅら』の発売にあたって、3月5日、福家書店銀座にて開催されたサイン本発売と握手会には1,500人近くが来場、同店におけるイベントとしてはプロ野球監督長嶋茂雄以来という盛況を博した。


           アイドルの活動と平行して、バラエティ番組にも出演。2005年10月からは『落下女』にレギュラーとして出演し、番組内コントコメディエンヌの片鱗を見せる。



           CMは、2003年に大王製紙「エリエール」でCMデビュー2004年12月、明治製菓の手作りチョコレートCMに夏帆大沢あかね3人で出演し話題となる。2006年には、NTT東日本企業広告CMに出演したほか、江崎グリコポッキー極細」のCMに出演し、人気の後押しとなった。


           女優としては、2005年に『Sh15uya』(シブヤフィフティーン)でドラマデビュー。2006年1月、『トゥルーラブでドラマ初主演。4月期・7月期は、土9ドラマ『ギャルサー』と『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』へ2クール連続で出演し、若手人気女優の仲間入りを果たす。


           アニメ声優にも挑戦し、映画超劇場版ケロロ軍曹』ではミララ役でゲスト出演、テレビアニメデジモンセイバーズ』では、藤枝淑乃役でレギュラー出演した。
           



           
          2007年3月3日日出高等学校卒業


           2007年9月8日に公開された映画『ワルボロ』で映画デビュー。また、同年夏公開の『恋するマドリ』で映画初主演、11月3日公開の『恋空』でも主演を務めた。


           同年8月6日には『恋するマドリ』の主題歌「メモリーズ」で、歌手デビュー。初披露は、TOKYO FMの本人出演番組「SCHOOL OF LOCK!のコーナー「GIRLS LOCKS!の8月6日放送分で、1コーラスだけ披露された。同曲は「SCHOOL OF LOCK!」のサイトでの独占先行配信で、着うたのみ同日から4日間先行配信された。さらに10月1日には、『恋空』の挿入歌「heavenly days」が「GIRLS LOCKS!」にてほとんどフル(2サビの頭まで)で披露された。その後も、本人出演時を中心に「SCHOOL OF LOCK!」で新曲が披露されている。



           同年11月3日放送の『COUNT DOWN TV』に歌番組初出演、「heavenly days」を歌った。12月5日にはアルバム『そら』でCDデビュー。12月21日には、日本武道館でデビューイベント『デビューアルバム“そら”発売記念! SCHOOL OF LOCK! と新垣結衣の heavenly Xmas in 日本武道館』を開催した。大晦日には、NHK紅白歌合戦のゲスト審査員を務めた。


           映画『恋するマドリ』、『ワルボロ』、『恋空』などの演技が評価され、2007年度の数々の映画賞を受賞している。2007年12月28日、第20回日刊スポーツ映画大賞新人賞を受賞した。明けて2008年、2月3日には第29回ヨコハマ映画祭新人賞、2月7日には第32回エランドール賞新人賞、2月12日には第50回ブルーリボン賞新人賞、2月15日には第31回日本アカデミー賞新人俳優賞、3月3日には第45回ゴールデン・アロー賞映画賞をそれぞれ受賞した。


           2008年3月15日、第6回東京ガールズコレクションにおいて、「BEST GIRL OF 2007」を受賞、第1回グランプリに輝いた。




           2009年7月22日、第61回 ザテレビジョン ドラマアカデミー賞 助演女優賞をドラマ『スマイル』で受賞した。


           2009年11月、ソニー ウォークマンのCM出演に際し、MONGOL800の「小さな恋のうた」を歌い、他のアーティストの楽曲を初めてカバーした。


           2010年6月25日、主演映画『ハナミズキ』で登場する自筆の絵本「The Three Little Pigs(3匹の子ぶた)」が一般発売され、絵本作家デビューを果たす。



           2011年7月11日、『全開ガール』で連続ドラマ初主演。10月21日、『らんま1/2』の役作りのため、中学生の時から伸ばしていたロングヘアを25cmカットした。


           家族構成は、両親と姉2人(3人姉妹の末っ子)。


           
          那覇市立開南小学校大里村立大里中学校(現南城市立大里中学校)、日出高等学校卒業


           
          沖縄県出身だが、暑さには弱い。

          子どもの頃から人見知りをするタイプ。

           
           
          一人称は基本的に「私」だが、自身が綴るブログ日記の中では「僕」や「ゆいぼ(ゆいボ)」「ユイ」「新垣」「ガッキー」「ガッちゃん」などを使っている。愛称の「ガッキー」は、ニコモになって間もなく榎本亜弥子に提案されたもので、当時はフルネームよりかなり呼ばれていた。中学校時代の友達には「ゆい」「ゆいぼ」など、高校の同級生である多部未華子からは「ゆいぼう」と呼ばれている。

           
           イラストが得意。漫画が好きで、特に好きなのは『
          ラブ★コン』と『らんま1/2』。

           
           好きな
          アーティストは、Mr.ChildrenHYCoccoSPEEDケツメイシマイケル・ジャクソンD-51

           
           得意料理は、
          ゴーヤーチャンプルー。バラエティ番組『恋するハニカミ!』に出演した際、小出恵介に振舞った他、NTT東日本のCM「家政科学生ユイの想い」でもその腕前を披露している。




           友達から「手を肩から上にあげない」と言われるほど、普段機敏な動きをすることはなく、ポッキーCMでのダンスは「自分の体じゃないみたいで気持ち悪かった」とインタビューで語っている。


           ヒョウモントカゲモドキの心ちゃん(愛称:シーちゃん)とカニンヘンダックスのココちゃんを飼い、1人で暮らしている模様。


           友人には、先述の多部未華子戸田恵梨香長澤まさみ比嘉愛未水川あさみ持田香織らがいる。特に、ニコラの専属モデル同士だった虎南有香とは大親友である。


           好きな食べ物は、ラーメンそうめん沖縄そばもつ鍋ラフテー、タコのマリネ、舞茸の天ぷら、ドライマンゴー、豆乳、甘いもの、柔らかいちくわ。嫌いな食べ物は、生魚パクチー


           風呂上がりの香りが好き。



           ニコラ時代は、ボーイズ系カジュアルの他にも色々な洋服を着こなし、父親のジーパン(大きめでダメージが強い)を愛用して「パパカジ(パパのカジュアル)」という新しいファッション用語を同誌で流行らせた。祖母、母と受け継がれたクロスのネックレスをいつも身につけている。また、母方の祖母からゴールドの結婚指輪も高校1年生の時に受け継いだが、こちらは本人が紛失してしまい、今は代わりのリングを右手薬指にはめている。


           最近ではロングスカートスカート+ズボンといったファッションが多い。また、パーカーの重ね着をすることもあると語っている。



           多彩な才能を見せている彼女。女優歌手ファッションモデルだけにとどまらず、絵本作家デビューを果たすとは、可能性の高さを感じる。今後ますますの活躍を期待する。


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          古今東西 「憧れの俳優」 〜 ジェニファー・コネリー 〜

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            ニューヨーク州二ュ−ヨーク市出身。当時、父親のジェラード・コネリーはジュニア向けのフ

            ァッションデザイナー、母親のアイリーン・コネリーはアンティーク製品のディーラーをして

            いた。母方の祖父母からはロシア人
            及びポーランド人の、父方の祖父母からはアイルランド

            及びノルウェー人の血を引いている。 英語の他に仏語・伊語に堪能。



             学業と仕事のバランスを取りながらイェール大学
            で2年間にわたって英語学と演劇学を学

            んだ後、スタンフォード大学
            に転入学して古典演劇と即興演劇を学んだが、卒業するには至

            なかった。


             
             両親の友人の勧めでモデルになる。コマーシャルや雑誌の仕事を経て、1982年にテレビ

            ドラマ『Taies of the Unsxpected
            』の「The Girl」の回に出演して女優デビュー。 そして

            1984年に『ワン・スポン・ア・タイム・イン・アメリカ
            』でヒロインの子供時代役を得て映画デ

            ビューを飾った。 1985年の『フェノミナ
            』で特に日本ではポストブルック・シールズとして注

            目され、数社のコマーシャルに起用、日本語でのレコード発売、映画雑誌の表紙を飾るなど

            してアイドル的な人気を得た。



             

             2000年の『レクエイム・フォー・ドリーム
            』の演技が評判を呼び、インディペンデント・スピ

            リット賞
            助演女優賞にノミネートされた。ついで2001年公開の『ビューティフル・マインド』 

            アカデミー助演女優賞
            ゴールデングローブ賞 助演女優賞 英国アカデミー賞 助演女優賞

             ・第7回放送映画批評家協会賞 助演女優賞・アメリカ映画協会賞年間最優秀女優賞を得

            し、演技派女優として認められるようになる。『ビューティフル・マインド』についてはブログの

            最初の方で解説しているので、詳しい事は省くが私も非常に感動した作品である。


             俳優以外の活動では、バレンシアガレブロンの広告塔を務めている。2005年にアムネ

            スティ・インターナショナル
            USAの人権教育大使に任命される。 ピープル誌などの「世界で

            最も美しい50人」に選ばれたこともある。

            ビューティフル・マインド [DVD]

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            古今東西 「憧れの俳優」 〜 ジョニー・デップ 〜

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               ジョニー・デップ(Johnny Depp, 本名: ジョン・クリストファー・デップ二世、John Christopher Depp II, 1963年6月9日 - )は、アメリカ合衆国俳優ミュージシャン。身長178cm。血液型はO型。

              ジョニデと略されることもある。



               
              ケンタッキー州オーウェンズボロにて、土木作業員の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる。4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7歳上の姉デビーと2歳上の姉クリスティーがいる。フランス人アイルランド人ドイツ人チェロキー族の血を引く。


               家庭の事情で頻繁に転居を繰り返し、7歳の時にフロリダ州ミラマーに定住。1978年に両親が離婚。子供時代はストレスのために自傷行為を繰り返したという。12歳で酒を飲み始め、14歳の頃からドラッグに手を染めるなど、どん底とも言える青年時代を送った。しかし、親友との死別をきっかけに足を洗う事を決意。16歳の時に高校を中退しミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。


               「The Kids」をリードギタリストとして率い、
              イギー・ポップの前座も務めた。バンドは商業的に成功を収め、さらに活動を本格化させるべくロサンゼルスに活動拠点を移し「Six Gun Method」と改名し様々なバンドとコラボレーションを行った。



               
              近年では、オアシスの曲やローリング・ストーンズのアルバムにもギターで参加したほか、1995年にはバットホール・サーファーズギビー・ヘインズと共に「P」というバンドを結成しCDを発売した。


               2010年にはイギリスのインディーズロックバンド・ベイビーバードのアルバムにも参加し、PV撮影の監督も行い、更には自らのレコードレーベル“UNISON MUSIC”を設立し、新人発掘を行っているらしい。


               20歳の時に25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚。その時に、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合い、ケイジから俳優への転身を勧められた。その後友人の付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け、1984年にホラー映画エルム街の悪夢』で初出演。その後『プラトーン』の端役などで経験を積んだ。当初は俳優の仕事に対して消極的であったデップだが、尊敬する俳優のフレデリック・フォレストとの共演が転機となり、本格的に俳優への道を歩み出す。


               1990年公開の『
              クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年公開の『シザーハンズ』は大ヒットするが、その後の出演作品の興行収入と知名度は付随しなかった。しかし、『ルバート・グレイプ』などのヒューマンドラマや『エド・ウッド』といった伝記映画に立て続けに出演し俳優としての実力を身につけた。



               俳優業の傍ら、親族の出自(彼の母方の曾祖母は純血のチェロキー族であり、父も同じくチェロキー族の血を引く)からインディアンの問題に関心を持っていたデップは1997年に、マーロン・ブランドを招聘し映画『ブレイブ』を監督した。


               1999年にこれまでの功績が認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれる。


               映画『ナインスゲート』で知り合ったヴァネッサ・パラディとの間に長女をもうけたことを機にデップの生活は公私共に急激に変化した(下部詳述)。2003年に子供の勧めにより出演したディズニー/ブエナビスタ共同制作の娯楽超大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』で興行面での大成功を収め、世界的な規模で爆発的な名声を獲得した[9]。同年の『ピープル』誌にて「最もセクシーな男性」に選出され、全米映画俳優組合賞主演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。



               2004年公開の『ネバーランド』でイギリスの作家ジェームス・マシュー・バリーを好演し、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。その後も基本的には性格俳優であり、パイレーツ・シリーズでファンとなった観客を驚かせるような企画、役柄にも取り組み続けている。


               2007年公開の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』で、初のミュージカル映画に出演。この作品でゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演男優賞にもノミネートされた。


               2009年の『ピープル』誌にて「最もセクシーな男性」に再び選出された。


               製作側の説得によりフォックス放送テレビシリーズ21ジャンプ・ストリート』に主演し、一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びる。それでも自分が商品として扱われることやテレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れたため、活動の場を映画のみとすることに決めた。


               近年はベロアの
              テンガロンハットと茶縁でセルフレームの大きめの眼鏡(もしくは同じフレームを使用したサングラス)に口髭のイメージが定着している。また自身のメガネフレーム(TartのArnel)はファッション誌に取り上げられるほどに人気を誇っている。腕に付けているビーズのブレスレットは愛娘からの手作りの贈り物である。


               母親の名と、二人の子供の名、数字の3、またアルファベットの刺青を施している。なおアルファベットについては、単純に好きな文字だからと話している。


               2011年5月、BANG Media Internationalによると、過去にハット・パーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたことがあるほどの帽子好きだが、その数は桁違いでパリに所有するアパートの二部屋を占領しているという。しかし、数が多すぎるためにパートナーのヴァネッサ・パラディから増えすぎた帽子を処分するように言われている。関係者は、デップはどの帽子も気に入っているから他の家に移すのではないかと語っている。


               また、眼鏡のコレクターでもあり、これまで出演した映画『ニック・オブ・タイム』、『ナインス・ゲート』、『シークレット・ウィンドウ』で着用していた眼鏡は全て自身の私物である。


               アメリカのサインコレクター雑誌『オートグラフ・マガジン』が発表した「ファンにサインする際に態度が丁寧な映画俳優」で3年連続1位に輝いている。同誌は「穏やかで気さくにサインをしつつ、ファンに話し掛けて親しくなろうとする」「プレミア会場でもレストランでも、映画のロケ中でもほとんど、最高に気前良くサインしてくれる人物」と評価している。


               ハリウッドの中でも数々のヒット作を持つジョニー・デップだが、そのギャラや年収も破格の額を稼いでいる。


               2008年6月、経済誌『フォーブス』誌が発表した2007年6月から2008年6月までの1年間の中で映画出演を含めたあらゆる仕事でハリウッドにおいて最も稼いだスターを発表したランキングでデップは72億円を稼ぎ、ランクインしている。同誌の2009年度に発表されたランキングでも約27億円を稼ぎ、俳優部門で第10位にランクインしている。


               2009年11月、BANG Media Internationalによると、パイレーツ・オブ・カリビアン第4弾『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』に2100万ポンド(日本円で約31億円)のギャラで出演することを決めた。この高額なギャラをディズニーが支払えるのは3作目まで出演していたオーランド・ブルームキーラ・ナイトレイなどが4作目には出演しないと明言しているため、その分のギャラが浮いたためではないかといわれている。


               2010年9月、『フォーブス』誌が2009年からの1年間で「最も高額なギャラを獲得したハリウッドの俳優」のランキングを発表し、5,000万ドル(約42億5,000万円)以上を稼いで1位にランクインした。


               2010年2月、米『バニティー・フェア』誌が2010年に「最も稼いだ映画関係者トップ40」を発表し、デップは1億ドル(日本円で約80億円)を稼ぎ、2位にランクインした。内訳は世界中で大ヒットを記録した映画『アリス・イン・ワンダーランド』の出演料が4,000万ドル(日本円で約32億円)、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の前払い金が3,500万ドル(日本円で約28億円)、アンジェリーナ・ジョリーと共演した映画『ツーリスト』が2,000万ドル(日本円で約16億円)、残りが過去作からの収入となっている。


               2011年8月、『フォーブス』誌が2010年の5月1日から2011年5月1日までの1年間で「最も稼いだハリウッド俳優」のランキングを発表し、推定5,000万ドル(日本円で約40億円)を稼いで2位にランクインした。


               子供思いでも知られるデップは2008年に娘のリリー・ローズが腎臓病で入院したロンドンのグレート・オーモンド・ストリート病院をひそかに訪れ、「娘の命を救ってくれたお礼」として100万ポンド(日本円で約2億900万円)を寄付した。さらに娘が助かったことに感激して2007年11月には同病院を映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック・スパロウの衣装を着て、患者の子供達におとぎ話を聞かせるサプライズも起こしている。


               2009年11月、WENNによると、映画でブレイクするきっかけを作ってくれたニコラス・ケイジが財政難で苦しんでいるのを知り、協力を惜しまない意向を示している。


               デップは過去に太っ腹なチップを残すセレブとして話題になっており、シカゴのレストランで映画『パブリック・エネミーズ』のレッドカーペット・イベントを祝って監督やキャストと食事をしていて、大人数での食事だったこともあるが4000ドル(日本円で約32万8,000円)という高額なチップを払っている。当時のレストランのウェイターは「デップは15人のグループで食事をしに来た。チップは12人で均等に分けた。これまでウェイターを務めたセレブの中でデップが一番」と語っている。



               2010年2月、ハリウッドのきらびやかなライフスタイルから離れ、フランスで恋人のヴァネッサ・パラディと子どもたちと住んでいるデップだが、カリブに島を買ったのは衝動買いだったという。デップは「僕の人生のすべてのことと同じで計画はしていなかった。なんとなく起こったこと。恋人と子どもたちと一緒にバケーションに行って、島が売りに出されてるって聞いたんだ。この島なら誰かにジロジロ見られず、カメラを向けられたり、指をさされたりすることもない。ありのままの自分でいられる場所だと思った」とコメントしている。


               2010年10月、メール・オンラインによると、ロンドン郊外グリニッジにある小学校に通うベアトリス・デラプちゃんが小学校の近くで撮影をしているジャック船長宛てに「わたしたちは海賊見習いです。先生たちに反乱を起こすつもりなので助けに来てください!」と応援をお願いする手紙を書いたところ、手紙をもらったデップはジャック船長の姿で海賊たちを引き連れてベアトリスちゃんの小学校にサプライズで訪問し、ベアトリスちゃんの手紙を取り出して「これを書いたベアトリス、出ておいで」と声を掛け、「今日は反乱を起こすべきじゃないな、警察がおれを見張っているんだ」と反乱中止を伝えたという。


               2010年10月、英大衆紙『The Sun』によると、デップは総額8万ドル(日本円で約640万円)をポケットマネーで支払い、防寒用のジャケットを500着購入し、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』のスタッフにプレゼントしたという。


               海外での映画撮影の場合、ハリウッドの役者は控え室やロケ先の家としてトレーラーを使用することが一般的となっているが、2010年11月、デイリー・スター紙によるとデップが『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の撮影時に控え室として当初、用意されていたトレーラーに不満を示したところ100万ポンド(日本円で約1億3,170万円)の予算でインテリアデザイナーを雇っていいとの許しを得て、高価なアンティークや手編みのじゅうたん、モロッコ風のランプ、クッション、鏡、モザイクタイルなどが運び込まれ、モロッコテイストの豪華な楽屋に大改造したという。


               一見、奇抜な衣装や化粧が先行して、なかなか素顔が分かりにくい彼。あまり感情を表に出さない感じがするのも「思春期」を孤独に過ごしたせいだろうか。しかし、彼のファンを大切にする気持ち、子供に対する愛情からは人として「昇華」した姿だと思えてならない。 


               

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              古今東西 「憧れの俳優」 〜 エマ・ワトソン 〜

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                 エマ・シャーロット・デューレ・ワトソン(: Emma Charlotte Duerre Watson1990年4月15日 - )は、イギリス女優。映画ハリー・ポッターシリーズハーマイオニー・グレンジャー役で知られる。身長165cm。



                 フランスパリにて、弁護士である両親クリス・ワトソンとジャクリーヌ・ルースビーのもとに生まれた。両親の離婚後、5歳で母親と弟のアレックスと共にイギリスオックスフォードシャーオックスフォードに移住。オックスフォードのパブリックスクール、ドラゴンスクールに通う。祖母はフランス人Duerreは祖母の旧姓である。母親はフランス人イギリス人ハーフで、離婚した父親はイギリス人のため、エマは4分の1がフランス人、4分の3はイギリス人クォーターである。


                 10歳の時に友人と『
                ハリー・ポッターと賢者の石』のオーディションに参加。当初は遊び気分だったが、だんだんと真剣にオーディションに取り組むようになった。オーディションは8回受けており、エマの予想では2回くらいで終わると思っていたため、回数を重ねるごとにナーバスになっていた頃、ロン役のルパート・グリントと共に呼び出され、ハーマイオニー役に決定した。 2001年に『ハリー・ポッターと賢者の石』でデビュー。以後、シリーズ7作目の『ハリー・ポッターと死の秘宝』まで出演している。



                 『ハリー・ポッターと賢者の石』と『ハリー・ポッターと秘密の部屋』での演技によりAOL最優秀助演女優賞に輝く。また、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』ではイギリスの映画誌トータルフィルムの読者投票で最優秀新人に選出された。


                 「ステレオタイプにはなりたくない」とこの役を終えた後も役者として活躍したいという姿勢を見せている。2007年にはBBC制作のテレビ映画バレエ・シューズ』に出演。2008年には『The Tale of Despereaux』で声優を務めている。



                 2009年12月、「過去10年間で最も興収を稼いだ女優」としてギネス・ブックに載ることがわかった。エマが2000年から2010年までの過去10年間で出演した映画は『ハリー・ポッター』シリーズ以外で声優を務めた『ねずみの騎士デスペローの物語』を入れても、映画1本あたり約9億ドル(日本円で約800億円)、合計で約54億ドル(日本円で約4860億円)という莫大な金額を稼いでいたという。ちなみに2位は同じく『ハリー・ポッターシリーズ』でマクゴナガル先生役で出演したマギー・スミスだった。


                 2011年1月、米経済誌フォーブス誌が『スクリーン上で最も(興行収入を)稼いだカップル』のランキングを発表し、『ハリー・ポッターシリーズ』のルパート・グリントとエマ・ワトソンが1位にランクインした。ルパートとエマは『ハリー・ポッターシリーズ』だけで63億ドル(日本円で約5229億円)を稼いでいた。



                 2008年6月、シャネルのココ・マドモアゼルの新たな広告塔に選ばれた。イギリスのザ・メール紙には「シャネル側は、エマのプレミアやパーティーにシャネルを着せ、彼女がイメージに合うかどうかを見てきた。美しい大人の女性へと成長していくエマがエレガントにシャネルを着こなしているのを見て契約に踏み切ったようだ」と報じられた。契約金は600万ドル(日本円で約6億4,800万円)だという。


                 2009年の秋冬コレクション、2010年の春夏コレクションで
                バーバリーのモデルを実弟であるアレックスと共につとめるなどファッションへの関心も高い。2010年の春夏コレクションでは、フェアトレード・ファッション・ブランドのピープル・ツリーでクリエティブ・アドバイザーを務める企画が発売される。


                 2011年3月、フランスの化粧品ブランド「ランコム」の新たな広告塔になったことをツイッターで明かした。同ブランドはジュリア・ロバーツ、ケイト・ウィンスレットなどのトップ女優が広告塔を務めており、エマも名実共にトップ女優の仲間入り果たしたことになる。エマが「わたしはそんなに化粧をする方ではないけれど、ランコムのファンよ。特にマスカラとかね」とコメントする一方で、ランコムの担当者は「エマは持ち前のかわいらしさやセンスで同世代のファッション・アイコンです。彼女がランコムに新しい風を吹き込むことを期待しています」と期待を寄せている。


                 初恋の相手はハリー・ポッターシリーズで共演した
                トム・フェルトンで、シリーズ2作目までトムにくぎづけだったと米紙で語っている。ダニエル・ラドクリフと付き合っているという噂が流れたがエマ本人は完全に否定している。また、ラドクリフ以外にも同い年のラグビー選手ジョン・ロッカーや、レイザーライトのボーカルであるジョニー・ボレルとの噂があった。他にも、ロンドンで行われたエンパイア・アワード授賞式の後、ワトソンが別の男性と仲睦まじくしているところが目撃されたと言う。その後、投資家のジェイ・バリモアとオープンに交際中であったが、英国デイリー・メイル紙が2年越しの交際に終止符を打ったと伝えた。2010年6月、グラストンベリー・フェスティバルにロックバンドワン・ナイト・オンリーのボーカルであるジョージ・クレイグと2人で現れ、交際していることを公にした。バーバリーの撮影で出会ったという。


                 2010年11月、デイリー・テレグラフ紙のインタビューで過去の恋愛について「男性って恋人の方がたくさん資産を持っていたりするのはあまり良い気分がしないのよね。そのことで関係が複雑にならないように願うばかりだけど、慎重にならないとね。」と語っている。



                 2011年1月、Showbizspy.comのインタビューで恋人について、「私のボーイフレンドになるということは、ヒドいことなの。わたしはいつも仕事しているし、(ハリー・ポッターの人気から)いつも一般の人たちから話しかけられるわ。だから、今はボーイフレンドはいないし、その方が居心地がいいわね。ちょっと自分勝手でいても良いかもしれないわ」とコメントを残している。


                 10歳の時に「ハリー・ポッター」のハーマイオニー役に抜擢され、現在22歳。シャネルのココ・マドモアゼルの新たな広告塔にも選ばれる大人の女性へと変身を遂げた。米映画サイトによる「2011世界で最も美しい顔100人」の第1位に選ばれている。



                 

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                アカデミー賞の歴史 〜 ニコラス・ケイジ 〜

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                   ニコラス・ケイジ(: Nicolas Cage, 1964年1月7日- )は、アメリカ合衆国俳優であり、映画監督映画製作者。本名、ニコラス・キム・コッポラ(Nicolas Kim Coppola)。身長183cm



                   
                  カリフォルニア州ロングビーチ生まれ。父親のオーガスト・コッポラはイタリア系で大学教授兼作家、母親のジョイ・フォーゲルザングはドイツ系のバレエ・ダンサー。兄(マーク、クリストファー)がおり、クリストファーは映画監督をしている。父方の祖父は音楽家・作曲家のカーマイン・コッポラ、祖母は女優のイタリア・ペニーニ。叔父に映画監督のフランシス・フォード・コッポラ、叔母に女優のタリア・シャイア、いとこにソフィア・コッポラロマン・コッポラがいる。


                   ビバリーヒルズ高校中退。日本語学校に通っていた経験があるため日本語がある程度話せる。映画でもしばしば披露する他、来日時には日本語で挨拶することもある。


                   1981年に『
                  初体験/リッジモント・ハイ』でニコラス・コッポラとしてデビュー。その後、現在の芸名に変更。芸名の「ケイジ」の由来はマーベル・コミック社のコミック「パワーマン」の主人公ルーク・ケイジから。若い頃はコッポラ監督の甥と呼ばれることを嫌がっていた。オーディションを受けても、製作者たちの浴びせる質問は彼についてではなく、叔父フランシスのことばかりだったという。本名のコッポラを名乗らず、あえて“ケイジ”の芸名を使うことにしたのも、そのためと言われている。




                   1995年の『リービング・ラスベガス』で第68回アカデミー主演男優賞を受賞。オスカー受賞後は、芸術的な映画に留まらず、大作映画にも積極的に出演した。同業のショーン・ペンはケイジの大作映画出演をいぶかしく思っていると発言した。


                   サターン・フィルムズ(Saturn Films)という映画制作会社を設立。2000年に『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』に製作者として参加し、2002年には『ソニー』(sonny)で監督兼プロデューサーを務めた。その後も、映画制作会社サターン・フィルムズの共同経営者として、いくつかの作品をプロデュースしている。


                   1995年4月8日に女優の
                  パトリシア・アークエットと結婚したが2001年5月18日に離婚。2002年8月10日にはリサ・マリー・プレスリーと再婚したが、同年11月15日に離婚を申請し、2004年5月26日に離婚。ちなみに、ケイジはプレスリーのコレクターでもある。



                   2004年7月30日にロサンゼルスの寿司店にてウエイトレスをしていた韓国系アメリカ人女性アリス・キムと韓国系ナイトクラブで出会い再々婚した。2005年10月3日に長男カル=エル・コッポラ・ケイジが誕生。名前のカル=エルとはスーパーマン』が生まれた時の名前である。


                   2011年4月15日、ニューオーリンズフレンチ・クオーターで泥酔して、近くにある住宅を自分の借家だと思い込んで妻アリスを引っ張って行こうとし、さらに喚きながらタクシーに乗り込もうとしてドメスティックバイオレンス、治安妨害、公衆酩酊(日本の「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」違反相当)の容疑で逮捕されたが、日本円で約94万円の保釈金を払い保釈され、仕事を再開した。


                   非常に車好きで
                  フェラーリの現行車種を全車種(限定車のエンツォ等含む)所有している。また、イランモハンマド・レザー・パフラヴィー国王が所有していたランボルギーニを所有していたこともある。



                   アメリカンコミック好きでも知られ、自身の芸名は元より、息子にまでアメコミキャラクターの名を付けるほどである(カルエルはスーパーマンの本名)。彼のコミックコレクションをオークションにかけた際に出品された400品目の中には『アクションコミック』1号や『ウィズコミック』1号、『ディテクティブコミック』38号、『オールスターコミック』3号等のレアアイテムが目白押しで総落札額は160万ドルに達した。また日本の成年コミックに並々ならぬ興味を示しており「論ずるに値する」と述べている。


                   しかし一方で、「15歳の頃からコミックは読んでいない」と、コミックオタクという印象を否定する発言がある。


                   また、カルト映画も好きで、同じ趣味のラモーンズのリーダーのジョーイ・ラモーンとは親友だった。そのため、ケイジは彼が好きだったカルト映画ウィッカーマンを自費で2006年リメイクし、ラストに「ジョーイ・ラモーンに捧ぐ」とクレジットした。しかしそのため、ラジー賞主演男優部門をはじめ5部門にノミネートされる結果となった。



                   ガレージキットのコレクターでもあり、まんだらけを過去4回訪れている。そのたびに段ボール数箱分の買い物をするため、ニコラスが来た日は売り上げが跳ね上がるという。過去一番大きな買い物は高さ1.5メートルのガメラ(40万円)。


                   ハリウッドを代表する俳優であるニコラス・ケイジは現在、映画1本の出演料が15億円と言われている。


                   かなりの浪費家として知られ、古城、高級車、恐竜の化石や骨、コミックコレクションなどを派手に購入していたニコラスだが、その浪費癖から財政難になってしまい、2009年8月には200万ドル(日本円で約1億8000万円)の債務不履行で銀行から訴えられているほか、2007年と2008年分の未納分税金や延滞分利子および罰金などで630万ドル(日本円で約5億6700万円)を滞納していることが明らかになった。ニコラスは元ビジネス・マネージャーのサミュエル・レビンの不適格なアドバイスが財政難の原因と釈明し、彼を相手取って2000万ドル(日本円で約18億円)の訴訟をおこしている。


                   2009年11月、『ピープル』誌によれば、ニコラスがニューオリンズのフレンチ・クォーターの一角に所有していた2軒の家が競売で売られた。この2軒は税金の滞納で差し押さえられていたもので、落札者はニコラスがローンを組んでいるリージョンス銀行。2軒ともこの銀行が落札したが、他に入札者はいなかったという。資産価値は合計で680万ドル(日本円で約6億1200万円)だが、落札金額は450万ドル(日本円で約4億500万円)とお買い得だったようだ。ニコラスは他にも担保としてラスベガス近郊の高級住宅地のベルエアに所有する豪邸を1100万ドル、マリブの豪邸を1000万ドルで競売に出したが買い手が付かず、銀行に差し押さえられた。さらにロードアイランドにある豪邸も差し押さえられ、オークションで競売にかけられている。



                   大の車マニアとしても有名でフェラーリの現行モデルはほとんど所有しているニコラスだが、2010年3月に高級車のロールス・ロイスのリースを巡って訴えられた。ニコラスは2007年に55万ドル(日本円で約4950万円)相当の1964年型のロールス・ロイスSCを月々7663ドル(日本円で約69万円)で5年リースし、その4ヵ月後には24万5000ドル(日本円で約2200万円)相当の2002年型も月々3630ドル(日本円で約33万円)で5年のリース契約を結んだ。ところが税金滞納などの財政難により、月々の支払いができず、2台とも途中でリース契約を打ち切ることになったため、契約違反でリース会社から合計24万2000ドル(日本円で約2180万円)の損害賠償を求める訴えを起こされたのだ。借金返済のために世界各地に所有していた豪邸に続き、ついに高級車を手放さざるを得なくなった。


                   映画俳優の私生活を語る事はいかがなものかと思うが、理想と現実のギャップが広がり過ぎるとファンの夢も壊しかねない。 


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                  アカデミー賞の歴史 〜 トム・ハンクス 〜

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                     トム・ハンクス(Tom Hanks, 1956年7月9日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア出身の俳優映画監督映画テレビプロデューサー。本名はトーマス・ジェフリー・ハンクス(Thomas Jeffrey Hanks)。 身長185cm。



                     全米長寿バラエティ番組『
                    サタデー・ナイト・ライブ』や、『スプラッシュ』『メイフィールドの怪人たち』『ビッグ』といった軽妙なコメディ映画を得意とする若手コメディアンとして活躍していた。


                     1993年エイズを取り扱ったシリアスなドラマ『フィラデルフィア』、そして1994年に『フォレスト・ガンプ/一期一会』で2年連続、第66回、67回アカデミー主演男優賞を受賞、ライトコメディ俳優から一躍オスカー常連の名優へと成長し、以降は数々の話題作・大作に立て続けに主演を重ねていった。


                     1996年には、監督作『すべてをあなたに』を発表、映画監督としても高い評価を得た。自身の本分は役者であるとの意向から、以後は長らく監督業を手がけていなかったが、2011年の『幸せの教室』にて15年ぶりにメガホンをとった(ただし、ドラマ『バンド・オブ・ブラザーズ』では第5話『岐路(Crossroads)』のみ監督を担当している)。


                     2001年公開した第二次世界大戦が舞台の戦争ドラマ『バンド・オブ・ブラザース』ではスティーブン・スピルバーグと共に製作指揮を行い、息子のコリン・ハンクスも出演していることで話題になった。


                     映画のプロモーションでは数回来日しており、近年では『ポーラー・エクスプレス』、『ターミナル』、『ダ・ヴィンチ・コード』プロモーションで、それぞれジャン・レノロバート・ゼメキス監督らと共に来日している。『ポーラー・エクスプレス』の来日でインタビューを受けた際には、タイプライター集めに凝っていると語っていた。また、自身が監督も務めた『すべてをあなたに』の来日の際には、出演者らと共に日本テレビ系の歌番組『THE夜もヒッパレ』にゲスト出演。ハンクスはその際に歌も披露した。2009年5月に『天使と悪魔』のプロモーションのために、プロデューサーのブライアン・グレイザー、監督のロン・ハワード、そして共演のアイェレット・ゾラーらと来日した際には、東京ドームで行われた巨人対中日戦の始球式に登場し会場を沸かせた。そして、監督である原辰徳との対面も果たした。



                     彼はエイブラハム・リンカーンと遠縁である(リンカーンの母親ナンシー・ハンクスの曾祖父の兄弟がトム・ハンクスの先祖、8代前)。


                     サマンサ・ルイスとの間に1977年11月、現在俳優として活躍する
                    コリン・ハンクス誕生。翌年、サマンサと結婚。1982年、長女エリザベス誕生。1987年、離婚。1988年、リタ・ウィルソンと再婚。2人の子供をもうける。


                     『幸せの教室で共演しているジュリア・ロバーツとは長年の友人で、家族ぐるみの付き合いだという。


                     
                    2001年4月、1974年に卒業した母校である高校の古くなった劇場を復旧させるため、約1500万円を寄付した。この劇場は彼が俳優になる下地を作った思い出深い場所で、寄付の見返りとしてこの講堂に当時ハンクスが所属した演劇部の顧問だったラウリー・ファンズワースにちなんで名前をつけるよう頼んでいる。


                     2010年2月、『ヴァニティ・フェア』誌が「2009年に最も稼いだハリウッドの稼ぎ手」のランキングを発表し、3,600万ドル(日本円で約32億4,000万円)を稼いで8位にランクインした。この金額は映画のギャラだけでなく、商品のロイヤリティ収入なども含んでいる。


                     2011年8月、経済誌『フォーブス』誌が2010年の5月1日から2011年5月1日の1年間で「最も稼いだハリウッド俳優」のランキングを発表し、推定3,500万ドル(日本円で約28億円)を稼いで5位にランクインした。


                     俳優映画監督映画テレビプロデューサーとマルチナ活躍を見せるトム・ハンクスだが、コメディアン出身という経歴から人間味の深さを感じずにはいられない。





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                    もんきーそふと


                    アカデミー賞の歴史 〜 デンゼル・ワシントン 〜

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                       デンゼル・ワシントン(英語: Denzel Washington, 本名: デンゼル・ヘイズ・ワシントン・ジュニア、Denzel Hayes Washington Jr., 1954年12月28日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州マウント・バーノン出身の俳優。これまでに2回アカデミー賞に輝いているほか、ベルリン国際映画祭でも2度の男優賞を受賞、さらに舞台ではトニー賞演劇主演男優賞を受賞している。アメリカを代表する映画俳優の1人であると同時に映画監督、舞台俳優でもある。

                       

                       官僚、将校、ジャーナリストなど、硬派なインテリで真面目な性格の人物を多く演じている。スパイク・リーとの3度目のコラボレーション作『ラストゲーム』(He Got Game)では妻を殺した罪で服役中の元バスケットボールプレイヤーという役柄を演じたが、彼自身もセミプロ級の腕前である。身長は184cm。


                       1989年、『グローリー』でアカデミー助演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞に最も近い黒人俳優としてその日はいつか、と期待されていたが、遂に2002年シドニー・ポワチエに続いて『トレーニングデイ』でアフリカ系アメリカ人では2人目となる第74回アカデミー主演男優賞を受賞した。


                       デンゼル・ワシントンは
                      ニューヨーク州マウント・ヴァーノン(Mount Vernon, New York)で生まれた。姉ロリース(Lorice)と弟デイヴィッド(David)がいる。母親のレニース(Lennis)は、ジョージア州で生まれてニューヨーク州ハーレムで育った。


                       母親のレニースは美容師として2つの美容院を経営すると同時に、夫(デンゼルの父)が担当する教会でゴスペル歌手の仕事を行うという、当時(1950年代)としては比較的珍しい職業婦人だった(1950年代のアメリカでは、結婚して子供が生まれてからも働く女性はあまり多くなく、ましてや自分の会社や店を自分で経営する女性は更に少なく、黒人層では皆無に近かった)。父親のレヴランド・デンゼル・ワシントン・シニア(Reverend Denzel Washington Sr.)はヴァージニア州デルウィン生まれで、ペンテコステ派牧師で二つの教会を担当すると同時に水道局と地元のデパート「S.Klein」でも働いていた。




                       人種差別が法の上において事実上認められていた公民権法施行前のアメリカにおいて、夫婦は黒人であるが故に不合理な扱いを受けるという辛酸を舐めてきたため、3人の子供達には可能な限り良質な教育を授けようと必死だった、と後に語っている。両親が多忙で家を空けていることが多かったため、デンゼルを含む3人の子供達は学校が終わってから両親が迎えに来るまでの間や週末は、ボーイズ&ガールズクラブ(アメリカの青少年育成団体)に預けられ、デンゼルはそこで多くのスポーツに熱中した。また、母親が経営する美容院でも多くの時間を過ごし、デンゼルはそこで話を作る面白さを客から学んだ。


                       デンゼルが14歳の時に両親の関係は悪化したが、デンゼル自身と姉はそれぞれ別の全寮制寄宿学校に入れられていたため両親が離婚した事は暫く後になってから知らされた。デンゼルはニューヨーク州マウント・ヴァーノンのペニングトン・グリムス小学校(Pennington Grimes Elementary)でグラマー・スクール(grammar school)に通い、そこで様々なスポーツを嗜んだ。反抗期は酷く母親は彼の行いの粗暴さを心配し、デンゼルの数人の友人が少年院に送られたのを見届けた後、デンゼルを更生させるために全寮制の寄宿学校に送った。母親がデンゼルの成長期に映画を観る事を禁じていたのも、少しでも暴力的な状況から遠ざけるためであった。デンゼルの粗暴な振舞いは数人の友人が少年院に送られた事を目の当たりにした事や母親からの教育的指導のおかげで後に改善している。


                       デンゼルは子供の頃、
                      テキサス州の工科大学(Texas Tech University)に行きたいと思っていた。この事についてデンゼルは、「私は子供の頃マウント・ヴァーノンのボーイズクラブで多くの時間を過ごして、レッド・レイダース(Red Raiders)というチームを作った。だから高校生の時、私が子供の頃所属していたチームと似たようなユニフォームの使っている、レッド・レイダースと呼ばれていたテキサス州ラボック(Lubbock)の大学に行ってみたかったんだ」と語っている。



                       高校卒業後デンゼルはオクラホマ州立大学に通ったものの自身の興味をかきたてるものに出会う事が出来ずにすぐに中退し、改めて1977年ニューヨーク州フォーダム大学(Fordham University)のドラマ及びジャーナリズム学部に編入し直すまでベビーシッターを含む様々な職を経験し、その経験は後の俳優人生において役作りに大いに役立った、と語っている。


                       大学バスケットボールでは指折りの強豪校であるフォーダム大学でピー・ジェイ・カールシモ(P.J.Carlesimo)コーチ指導の下でバスケットボールにも熱中し、今でも時間を見つけるとバスケットボールを楽しんでいる。フォーダム大学でサマーキャンプに参加し、そこで寸劇の演出を担当した事から演技に強い関心を寄せ、ジャーナリズムの学位を取得して卒業後、サンフランシスコのアメリカン・コンサバトリー・シアター(American Conservatory Theatre)で1年間演技を学んだ。


                       最初にプロの俳優として表舞台に立ったのはTV映画『ウィルマ』であり、映画デビューを果たしたのは
                      1981年の『カーボン・コピー』であった。彼にとって最初の転機となったのは病院を舞台とした医学ドラマで1982年から1987年まで放送された『セント・エルスウェア』である。彼はこのシリーズに6年間出演し、誠実で有能な若い医師役は注目される大きな理由となった。


                       TVや映画、あるいは舞台でいくつかの端役をこなした後、1987年リチャード・アッテンボロー監督作の反アパルトヘイト活動家スティーヴ・ビコの人生を描いた伝記映画『遠い夜明け』でタイトル・ロールを演じ、初めてアカデミー助演男優賞にノミネートされた。1989グローリー』で冷静でありながらも反抗的な元奴隷を演じてアカデミー助演男優賞を授与された。同じ年には『女王と祖国のために』で、カリブ海生まれでイギリスの落下傘部隊に戻った男ルーベン・ジェームスを演じた。




                       
                      1990年夏、デンゼルは映画『ミシシッピー・マサラ(Mississippi Masala)』でデメトリウス・ウィリアムズ(Demetrius Williams)を演じた。1992年過去最高の批判と絶賛を同時に浴びたスパイク・リー監督の伝記映画『マルコムX』でタイトルロールを演じた。彼が演じた攻撃的な黒人解放闘士の役は彼にオスカーノミネーションをもたらした。この映画は映画批評家のロジャー・エバートからは「人種間の緊張対立を煽っているだけだ」と強い批判を浴び、一方で映画監督マーティン・スコセッシからは「1990年代に作られた映画の内最も素晴らしい作品10本に入る」と評された。


                       映画『マルコムX』は一夜にして彼のキャリアを大きく変え、アメリカで最も尊敬されるべき俳優にまでのし上げた。後に同じような役のオファーを受ける事になるが、型にはまった俳優にはなりたくなかった彼はキング牧師のような役を断っている。翌1993年エイズを扱った映画『フィラデルフィア』で、違う意味で自身のキャリアを危ぶませる役、ゲイ嫌いの弁護士ジョー・ミラーを演じている。この映画ではトム・ハンクスと共演しており、彼もまたゲイエイズ患者というリスクの大きい役を演じている。評論家は、これまでのキャリアを犠牲にする覚悟で果敢に難役に挑戦したことを絶賛している。1990年代初頭から中期にかけては、評価の高かったスリラー映画『ペリカン文書』と『クリムゾン・タイド』、コメディ映画では『から騒ぎ』、そしてロマンティックドラマ映画では『天使の贈り物』などに主演、ハリウッドの先導役という地位を固めていった。


                       主役級の人気黒人俳優として予防的に配慮しなければいけない部分もあるようで、1995年の映画『バーチュオシティ』では共演の白人女優ケリー・リンチとのキスシーンを断っている。インタビューでケリー・リンチは、「異人種間の恋愛シーンに何の問題も無いので、キスシーンに抵抗は無かった」と答えたが、デンゼルは「白人男性をターゲットにした映画で白人女性とキスをすればあっという間に攻撃の対象にされるからしたくない」と答えている。ケリー・リンチは更に、「それはとても恥ずかしい事で、いつか世界が異人種間の恋愛にこだわらなくなる事を待っている」と答えた。似たような状況は映画『ペリカン文書』でジュリア・ロバーツとの間にも起こっている。ジュリア・ロバーツは「いつこの人とキスが出来るのだろう」と撮影の間中ドキドキしていたが、「ハグと頬へのキスで終わってしまいがっかりした、何の問題もないのに」とインタビューで答えている。



                       こうした白人女優とのキスを断る姿勢は1989年の映画『刑事クイン/妖術師の島』から始まっている。この映画では唯一、共演のミミ・ロジャースとキスをしたが、試写で黒人女性からのブーイングを浴びたため編集に頼んでカットしてもらっている。後にデンゼルはニューズウィーク」誌でのインタビューで、「映画の中で黒人女性とカップルを演じる事は少ない、けれど彼女たちは大切なファンだ」、と答えている。しかしながら1998年スパイク・リー監督作『ラストゲーム』ではミラ・ジョヴォヴィッチとのセックスシーンに挑戦している。


                       1999年映画『ザ・ハリケーン』で、3つの殺人事件で告発され約20年間獄中で過ごしたボクサールービン・カーターを演じアカデミー主演男優賞にノミネートされた。この作品については同時に史実との整合性について新聞その他マスコミで論争が巻き起こったものの、2000年ゴールデン・グローブ賞ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した。


                       映画『ロレッタ・クライボーン・ストーリー(The Loretta Claiborne Story)』の終盤に出演しており、ロレッタ・クライボーン(Loretta Claiborne)に、彼女の勇気を讃えアーサー・アッシュ・イーエスピーアイ(Arthur Ashe ESPY)賞を授けている。 




                       
                      2000年ディズニーフィルムの『タイタンズを忘れない』に主演し、この映画はアメリカ国内だけでも1億ドルを叩き出した。2001年ロサンゼルス市の汚職警官を演じた『トレーニング・デイ』でアカデミー主演男優賞を受賞。この映画では悪党を演じる。「オスカーを獲得したのは、前作『ザ・ハリケーン』で演じた役柄とは180度違う役でも正々堂々と潔く演じたからだ」と批評家は絶賛した。


                       2002年健康保険の問題を鋭く突いた社会派の映画『ジョンQ -最後の決断-』で主演し、最初の監督作品『アントワン・フィッシャー 君の帰る場所』では助演をつとめた。



                       2003年から2004年にかけてはスリラー映画『タイムリミット』、『マイ・ボディガード』、『クライシス・オブ・アメリカ』で主演をつとめた。2006年3月には、立てこもりの銀行強盗犯を描いた『インサイド・マン』が公開され、監督は再びスパイク・リー、共演はジョディ・フォスタークライヴ・オーウェンである。同年11月には『デジャヴ』が公開。


                       2007年には『バーチュオシティ』に続いてラッセル・クロウと映画『アメリカン・ギャングスター』で共演、4630万ドルのオープニングセールスを記録し、キャリア史上最高のオープニング成績を残した。デンゼル・ワシントン監督作第2作目の『グレート・ディベーター 栄光の教室』では主演もつとめた。


                       2009年、地下鉄の保安主任ザック・'Z'・ガーバー(Zach "Z" Garber)を『サブウェイ123 激突』(The Taking of Pelham 1 2 3)で演じた。この映画は1974年ウォルター・マッソー主演で製作および公開されたスリラー映画サブウェイ・パニック』のリメイク作品で、敵対する役はジョン・トラボルタ、『デジャヴ』に続いてトニー・スコットがメガホンを執った。トニー・スコットとデンゼル・ワシントンがタッグを組むのは本作で4本目である。最新作のSFアクション映画『ザ・ウォーカー』(The Book of Eli)では、監督アルバート・ヒューズ(Albert Hughes)、敵対する役はゲイリー・オールドマンを迎えて製作された。同作品は2009年2月にニューメキシコ州で撮影が開始され、2010年1月15日に全米公開された。




                       
                      1983年、デンゼル・ワシントンは映画『ウィルマ』のセットで出会った女優のポーレッタ・ピアソン(現在はポーレッタ・ワシントン)と結婚。ワシントン夫婦は4人の子供を授かっており、1984年7月28日生まれの長男ジョン・ディヴィッド・ワシントンは2006年の5月にプロフットボールチームセントルイス・ラムズと雇用契約を交わしている。彼はモアハウス大学にフットボールの特待生として学費全額免除で通っていた。1987年11月28日生まれの長女カティアは名門エール大学に入学した。双子のオリヴィアとマルコム(マルコムXからの命名)は1991年4月10日生まれである。マルコムは現在ペンシルベニア大学に通い、フットボールをプレイしている。オリヴィアは女優志望で、ニューヨーク大学に通っている。1995年にワシントン夫妻は、南アフリカデズモント・ツツ司教同席の中で夫婦の誓いを改めて行った。




                       デンゼルは家族とともにテキサス州サン・アントニオ(San Antonio, Texas)のブルック陸軍病院(Brooke Army Medical Center)に入院している兵士達を慰問に訪れた。後日デンゼルは、入院している兵士達の家族を宿泊させるための小さなホテル、フィッシャー・ハウスズ(Fisher Houses)に寄付をしている。2006年10月、デンゼルは『ハンド・トゥ・ガイド・ミー(Hand to Guide Me)』(邦題『僕が大切にしている人生の知恵を君に伝えよう』)を著し、ベストセラーになった。本の内容は、著名な俳優・政治家・スポーツ選手などが子供時代のどんな体験が自身の職業を決める上でどう働いたのかを説いている。その本はアメリカの子供たちのために活動する協会から出版され、デンゼルは講演を依頼された。


                       デンゼルは俳優を志す前、大学卒業後の進路について迷っていた時期に亡父と同じく牧師になりたいと考えた事もあり、そのため現在でも敬虔なクリスチャンとしても知られている。


                       また2007年5月20日モアハウス大学から名誉博士号を授与されている。



                       
                      アメリカにおける人種差別背景に、黒人俳優は長年「型にはまった知能の低い悪党」という役柄かエンタテイナー、あるいは家族で観られるコメディー映画にしか出演の機会を与えられなかったハリウッドにおいて、デンゼルは極めて独特な地位を築いた事で知られている。




                       『エリン・ブロコビッチ』でアカデミー主演女優賞を受賞したジュリア・ロバーツは「ニューズウィーク」誌の取材に対して「デンゼルなら、オスカーを3つもらっても少ないぐらい」と評している。またデンゼルとは『グローリー』『戦火の勇気』『マーシャル・ロー』と3度タッグを組み、双方とも全幅の信頼を寄せている映画監督エドワード・ズウィックも同じように「白人俳優を主役に想定した脚本ばかりが映画化される」と同誌のインタビューで答えている。「黒人らしい」お定まりの脇役しか演じる機会を与えられないというのがアメリカにおいての黒人俳優の状況・問題でもあるが、その中でもデンゼルは誇り高い黒人、目的を持ち強く冷静に生きていく男の姿を多彩な役柄で演じ分ける事でハリウッドの伝統に抵抗し続けている。1984年、デンゼルは第二次世界大戦中の米陸軍における黒人兵士間の対立を描いた映画『ソルジャー・ストーリー』に出演した。黒人コメディアンエディ・マーフィがハリウッドで大受けしていた時代に、デンゼルはコメディーだけが黒人俳優の仕事ではないと主張するため、敢えて人種間の緊張を引きずる作品に出ていたのである。


                       1970年代後半、まだ駆け出しの新人俳優だったデンゼルは先輩で大親友師匠でもあるシドニー・ポワチエに「君のキャリアは最初の3〜4本の出演作で決まる。自分がいいと信じる役が来るまで待つべきだ」とアドバイスされ、言われるがままにいくつかの「黒人らしい」役を断った後、社会派の伝記映画『遠い夜明』のスティーヴ・ビコ役に抜擢され、オスカー俳優のケヴィン・クライン相手に一歩も引けを取らぬ見事な演技を披露し、社会派の黒人俳優だと世間に認識されアカデミー助演男優賞にノミネートされた。現在デンゼルは他の多くの黒人俳優のようにコメディアンやエンタテイナー、あるいは名悪役として認知されるのではなく、社会派の名優としての地位を完璧なまでに築いた。


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                      来月来日決定! 〜 アンジェリーナ・ジョリーの魅力 〜

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                         アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie, 本名: Angelina Jolie Voight, 1975年6月4日 - )は、アメリカ合衆国女優映画プロデューサーファッションモデル及びUNHCR親善大使。愛称は「アンジー」である。



                         生後間もない1976年に両親が別居した後、ジョリーと兄は母親に引き取られた。母親は演技の仕事に関わる夢を捨て、子育てに専念した子供のころは母親とよく映画を見に行き、このことが後に演技に興味をもつきっかけとなり、父親(ジョン・ヴォイト)の影響は全くなかったと語っている。6歳の時に、母親と義理の父親であるビリー・デイ(映画制作者)はニューヨーク州に引越し、5年後にカリフォルニア州のロスアンジェルスに戻った。その時に彼女はリー・ストラスバーグ演劇学校に入学し、2年間演技を学び、いくつかの舞台作品に出演した。


                         14歳の時に演劇学校を辞め、将来の希望を
                        葬祭ディレクター(アメリカでは、葬儀のコーディネートをし、遺体の保存、埋葬、火葬などに関わるプロフェッショナル。短大または4年制大学の学歴が必要で、モーチュアリーサイエンスの知識が要求され、全国試験を受け州ごとにライセンスを獲得しなければならない)とした その後ファッション モデルになり、主にロスアンジェルス、ニューヨーク、ロンドンで働いた。この時期にまた、常にの衣装を身に纏い、ナイフプレイを試みたり、同棲相手とモッシュに出掛けたりし、学業に復帰するまでに2年の時間を要した。その後ジョリーは、母が住む家から僅か数ブロックだけ離れたガレージの上にあるアパートメントを借り、高等学校を卒業した後、再び演劇の分野に復帰した。この頃についてジョリーは「私は今でも…そしてこれからも…心の中では、刺青をしたつまらない子供に過ぎません」と表現している。



                          ジョリーは10歳代から20歳代の初期にかけて自殺傾向のある鬱状態に悩まされた。彼女の母親の収入はつつましいものであったので、彼女は裕福な家庭からの学生の多いべバリーヒルズ高等学校の中で孤立したように感じ、さらに、ジョリーが極端に痩せていたことや、眼鏡、
                        歯列矯正の器具などを着用していたことで他の生徒からのからかわれるということもあった。彼女は他の人達と心を開いて付き合うことに困難を感じ、その結果、自傷行為を始めた。当時のことをジョリーは「ナイフで自分を傷付けると生きているという実感が沸き、開放感に満たされ、なぜか癒しのようにを感じるのです」と振り返っている。



                         ジョリーは14歳で
                        米国ヨーロッパを基点にファッションモデルを始めた。その一方で幾つかのミュージック・ビデオに出演。先述の通り16歳で演劇を再度学び始め、ドイツ人のミストレス役で舞台デビューを飾った。兄が製作した学生映画への出演を経て1993年、低予算ながら映画初出演を果たす。1995年、『サイバーネット』で映画初主演。興業収入こそ精彩を欠いたものの、ジョリーの存在感と演技は『ニューヨーク・タイムズ』において絶賛を博し、同作品はソフト化されてからカルト映画として再評価された。



                         その後も多数の作品でキャリアを重ね、次第に賞レースにもその名が挙げられるようになった。そしてジョリーの評価を決定付けたのは
                        1998年放映のテレビ映画『ジーア/悲劇のスーパーモデル』での演技である。エイズドラッグにより短い生涯を終えた実在のモデル、ジア・キャランジを演じたジョリーはこの作品で数多くの賞とノミネートを受けた。さらに翌1999年の『17歳のカルテ』でアカデミー助演女優賞を受賞。実力派女優としての地位を確立したものの、時を同じくしてジョニー・リー・ミラーとの離婚を中心とした親族との不和が先行したきらいがあった。



                         しかし
                        2000年ヒロイン役として出演した『60セカンズ』が興行的に大成功を収めると、翌2001年に出演した人気テレビゲームトゥームレイダー』の実写化作品で、過酷なトレーニング武道を習得した末に主人公のララ・クロフトを演じ、映画評論家から「ジョリーはクロフトを演じるために生まれてきた」と評されるなど絶賛を博し一躍世界的な人気を獲得した。その後、『Mr.&Mrs.スミス』で記録的な興行収入をあげるなど、30代前半にしてアメリカでもトップクラスのマネーメイキングスターとして活躍を続けている。


                         
                         
                        2001年頃から本格的に慈善活動を始め国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使も務める。



                         その活動の一環として、
                        2002年3月にカンボジア人の男児(マドックス・チヴァン)、2005年7月エチオピア人の女児(ザハラ・マーレー)、2007年3月ベトナム人の男児(パックス・ティエン)をそれぞれ養子として引き取る。2006年5月には、ナミビアで俳優ブラッド・ピットとの間の実娘、シャイロ・ヌーベルを出産した(入籍はしていない)。ちなみに「シャイロ」は「救世主」「幸福なもの」という意味があり、アンジェリーナの実兄につけられるはずだった名前である。2008年7月12日フランス南部のニースで男児(ノックス・レオン)と女児(ヴィヴィアン・マーシェリン)の双子を出産。


                         
                         2006年には出産した娘のシャイロの写真の掲載の権利を400万ドル(日本円で約4億3200万円)で『ピープル』誌と契約した。



                         米紙『ニューヨーク・タイムズ』は2008年11月11日付けの一面で「アンジェリーナ・ジョリーとそのイメージ」と題し、硬派の同紙としては異例の記事を掲載、米国の有名女優がマスコミ対策に腐心し、時には編集にまで介入していると批判的に報じている。



                         ジョリーは2008年夏に出産した双子の写真撮影と、本人と夫の俳優ブラッド・ピットとのインタビューの独占権を雑誌『ピープル』(タイム社)に推定1400万ドル(約13億4000万円)で売ったが、同時に「将来にわたり一家について不利な編集はしない」ことも条件としたという。タイム社は「写真を買ったが、(編集)内容は外部からの要請によって決められることはない」と声明で反論。ジョリー側は一切、コメントしていないという。記事はさらに、カンボジアの子どもらを養子にしているジョリーが、エイズ撲滅運動に協力するなど「篤志家」のイメージを売り込むことに腐心してきたことや、いわゆるパパラッチにわざと撮影させるための機会を自ら設定するなど、マスコミ「操作」に極めてたけているとの関係者らの証言を伝えている。ただ、堅い記事で信頼を得ている『ニューヨーク・タイムズ』がこのような記事を掲載したことに読者からは「まるでゴシップ紙のようだ」という落胆の声が多く、同紙電子版にある読者コメント欄には批判的なコメントが相次いだ。



                         
                        2009年6月、『ピープル』誌によると、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーのチャリティ組織“ジョリー・ピット基金”パキスタンの難民救済のため100万ドル(日本円で約9,800万円)を国連難民機関に寄付した。ジョリーは過去に3回パキスタンを訪れており、住むところがなくなった人々を救うために使ってほしいと今回の寄付をした。



                         
                        2009年10月、アメリカのチャリティー団体The Giving Back Fundが2008年の「寄付額が最も多い有名人」のランキングを発表し、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットがハリケーン・カトリーナで壊滅的状況に陥ったニューオリンズの再建やエチオピアやイラクの子どもたちに総額で1,340万ドル(日本円で約12億円)を寄付して2位にランクインした。



                         
                        2009年11月、『ハリウッド・レポーター』によると、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの2008年の寄付金総額は680万ドル(日本円で約6億1200万円)だったという。2人が設立したジョリー・ピット基金の2008年度の納税通知書によると、同基金の収益は1300万ドル(日本円で約11億7000万円)でその半分以上をさまざまな団体に寄付したといい、世界中の病気を減らすことを目的としている団体The Global Health Councilは同基金から200万ドル(約1億8000万円)を受け取り、ブラッドが創設したチャリティー団体Make It Right FoundationとHuman Rights Watchもそれぞれ1万ドル(約9000万円)を受け取ったという。さらにThe Armed Services YMCA of the US Army、ブラッドの地元スプリングフィールドの学校、息子マドックスくんの母国カンボジアの団体などもジョリー・ピット基金から寄付を受け取っているという。



                         
                        2009年12月、『ピープル』誌によると、アメリカの養護施設団体“アメリカン・SOS・チルドレンズ・ビレッジ”に10万ドル(日本円で約900万円)を寄付した。この団体はイリノイ州とフロリダ州にある養護施設で現在は300人ほどの子どもたちが暮らしている。ジョリーは「孤児や捨て子を育て、家族をバラバラにしないSOSのすばらしい活動をわたしたちはこの目で見ました。SOSビレッジでは一定の年齢になったからといって子どもが放り出されることはありません。職業訓練、高等教育、生活の手助けなど、すべての援助を永遠に与え続けてくれる場所です」とコメントしている。SOS・チルドレンズ・ビレッジは孤児や捨て子を支援する世界最大のNPOで、132か国で500のビレッジが存在している。



                         
                        2010年2月、先の大地震に見舞われたハイチの隣国ドミニカ共和国の首都、サントドミンゴにある病院を訪問し、ハイチから避難してきた被災者たちと面会。その後、ハイチへ移動し、国連ハイチ安定化派遣団を訪問した。また、夫のブラッド・ピットとともに100万ドル(約9,000万円)を国境なき医師団へ寄付している。なお、ハイチを訪問中にCNNのリポーターから「ハイチからは、養子をとらないのか」と尋ねられ、「いいえ、今われわれは、そのためにここにいるのではないのです。わたしたちは養子を受け入れる準備はあります。ブラッドとそのことも話しますが、それはここで考えることではありません」と強い口調で反論したと伝えられている。近年、ハイチでは生き別れた子どもの養子縁組が違法に行われて、人身売買にまで発展しており社会問題にもなっている。後にジョリーは、国連難民高等弁務官事務所のオフィシャルサイトで「養子縁組は緊急事態時の対応策として採用されるべきではない。ハイチは地震前に多くの人身売買の問題があったため、子どもたちにより一層の注意が必要だ」と声明を出している。エンターテインメントサイトのpopsugar.comではこのCNNのリポーターの質問について、「これは自然な質問、アンジーは養子をとることを認めている」「的はずれな質問、アンジーの活動から輝きを奪う」と二択で投票を行っているが、「的はずれな質問」に7割以上が投票している。



                         
                        2010年8月、DesPardes.comによると、10万ドル(日本円で約900万円)をパキスタン洪水の被災者支援として寄付していたことが明らかになった。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)親善大使として慈善活動を行っているアンジーはパキスタン洪水について「今年の1月にはハイチ地震が起きるなど、たくさんの苦労を抱えた人々がだんだんと増えてきています」と支援の必要性を訴えるコメントを発表している。



                         
                        2011年1月、『ハリウッド・リポーター』によると、実子シャイロちゃんが生まれた国ナミビアにある野生動物保護区にシャイロちゃんの名の下に2人が設立したジョリー・ピット財団から200万ドル(日本円で1億6400万円)を寄付していたことが明らかになった。この寄付に関してジョリーは「シャイロには自分が生まれた国に関わりながら育ってほしい。この野生動物保護区のオーナーとは古くからの友人でこのナミビアの土地と野生を保護するために彼らの熱心な仕事ぶりと人々への献身さにずっと感心させられている」と寄付理由に関したコメントを残している。



                         
                        2011年6月、BANG Media Internationalによると、竜巻の被害にあったミズーリ州南西部の町、ジョプリンに50万ドル(日本円で約4,000万円)の寄付したという。2人が設立した「ジョリー・ピット基金」による寄付金は壊滅的な被害を受けて中長期的な支援を必要とする町の再建に充てられるという。ブラッドは「街の30パーセントが壊滅的な被害に遭い、ジョプリンの街には難題が待ち受けています。僕はこの街の近くで育っているため、住民は仕事熱心で、謙虚、立ち直る力も強いことを知っています」と語り、街の再建の手助けになりたいと言っており、アンジーも「多くをなくしたジョプリンの方々への思いでいっぱいです」と付け加えた。



                         
                        2011年8月、BANG Media Internationalによると、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが設立した財団法人の納税記録が公開され、2人が2009年だけで総額490万ドル(日本円で約3億9,200万円)を慈善団体に寄付していたことがわかった。その寄付先は195万ドル(日本円で約1億5,600万円)が両親の働いている家庭の支援団体に、100万ドル(日本円で約8,000万円)は国連関連の慈善団体に、70万ドル(日本円で約5,600万円)は子どものがん基金に、また48万ドル(約3,840万円)は自然災害に遭った街の復興期金などに使われている。2人の友人は「セレブたちの多くはブラピやアンジーから学ぶことが一つや二つあるはずよ」とその金額の大きさがうがかえるコメントをしている。


                         アンジェリーナ・ジョリーの日本でのイメージは『トゥームレイダー』の影響が強くアクション
                        映画のヒロインと思われがちだが、彼女の女優としての演技力、役づくりにかける意欲は人並み外れたものがある。その淵源となるのものは、思春期の「自虐的な行為」の末に確立された人間性の賜物である。



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